2023.09.07
遠藤 誠 氏
時代に即した機械化の推進と多角化経営の実現
取材日は台風の前日、それも静岡県内に台風が直撃するという予報が出ていた。そのせいか、空にはどこまでも雲が広がり、今日は富士山の眺望を望めないだろうと諦めかけていた。だが、雲をかきわけるようにそびえ立つ富士山は、キリリとした表情を見せて待っていてくれた。ここは富士宮市。そう、富士山のお膝元である。
- キリリとした表情の富士山
この日お話を伺ったのは、富士宮市で林業を営む遠藤誠さん、晃崇さん親子。まずは遠藤さんのご自宅から車で15分ほどの場所にある作業場に向かう。作業場に到着して最初に見せていただいたのが、遠藤さんご自身でエンジンを載せ替えたばかりという乗用草刈機だ。
「調子が悪くなっちゃったけど、エンジンを交換すれば未だ未だ使えるなと思ってね、自分で載せ替えたんです。」
そんな事が出来てしまうものなのかと驚いていると、「なんでもDIY出来そうな事はやってみるんです。」と遠藤さん。この草刈機の使い道は、この後で向かう現場で明らかとなる。
作業場から現場に向かうため、ジープに乗り換えた。なんとこのジープ、50年も昔から活躍しており、いまだ現役で頑張ってくれているとのこと。古い映画で見たようなそのジープに乗り込み、ガタガタと揺れる泥道を進んでいくと、気分はさながらインディージョーンズのようだ。排気ガスの匂いに少し苦しくなりかけた頃、現場に到着した。
- 50年前のジープ
- エンジンを載せ替えた草刈機
機械化を推進するのには理由がある
この日の現場は、皆伐が必要とされている5000平米ほどのエリア。7割ほどの皆伐が済んでおり、根っ子まできれいに抜かれていた。これから新しい鉄塔が建てられる予定があり、もうスギやヒノキを植えることは出来ないそうだ。
「ここはいずれギンナンの畑にして、下草には豆科の花の種を蒔く予定です。うちはプチ養蜂もやっているので、花にはミツバチがやって来て蜜を採ることも出来るかなと思って。あとは草場にしてススキを育てれば、カヤ不足の地域に出荷したりも出来るかも知れません。一石二鳥を目指すだけでなく、三鳥にも四鳥にもなるように考えてやっていかないとね。」
先ほど見せていただいた乗用草刈機は、このススキを刈るのにも活用する予定なのだそうだ。
- これからのプランを話す遠藤さん
現在、林業の世界でも機械化が進んでいる。機械化によって生産性の向上はもちろんのこと、労働人口の減少や高齢化への対策にもなり得る。この日はハーベスタという林業機械での伐採を見せていただいた。ヘッドの部分が回転してガッチリと木を掴む。モーター音と共に木屑が舞い上がり、瞬時に木が伐られる。木は狙った方向に確実に倒れていく。その間わずか10秒ほどだ。そして倒した木を再び掴み、スライドさせながら枝を払う。同時に寸法を測りながら必要な長さにカットしていく。最後に枝も集積してあっという間に作業完了である。1台で何役も担ってくれるその便利さとスピードに驚くばかりである。
遠藤さんが機械化を推進するのは、それ以前の時代をよく知っているからでもある。
「今みたいにチェーンソーがない時代はノコギリを使っていました。東北の人たちが出稼ぎで応援に来てくれてね。私が中学生の頃にチェーンソーが出始めたんですが、今よりずっと大きくて重たくて振動も強かったから白蝋病になる人もいました。それからチェーンソーも徐々に改良されていったんですよ。」
「木材を運搬するのにも、昔は馬を使っていました。馬は力が強いから、作業道がないようなところでもずた引き方法でどんどん引っ張っていくことが出来たんです。でも朝早くから夜遅くまで働かせると、馬も疲れて作業効率が落ちる。餌だって食べるし、毎日世話をしなければならない。それがなかなか大変でした。それから運搬をジープに変えていったんです。ジープは使う時だけ燃料を入れれば良いので、それに合わせた作業道を作って、木材を運び出せるようにしました。その時は人力で木材を担いで車両に乗せていたから、肩にタコが出来たもんですよ。」
そこから徐々に機械を導入するようになり、今は機械での作業がメインなのだそう。遠藤さんが1日かかってやる作業を、機械なら15分でやってしまうというから驚きだ。
「チェーンソーの手作業だと1日に7本位しか処理出来ない事を思えば、格段に作業効率が上がります。」
- ハーベスタでの作業
- 枝を払い必要な長さにカットする
遠藤さんの所有山林は約30ha、この辺りの山の勾配は平均で15度ほどだそう。
「うちの山の特徴は作業道ですね。1haあたり100mの作業道を開ければ万全だと言われていますが、うちは300m開けています。土地に対して真ん中に真っ直ぐ作業道を通すと、小さい機械では届かない場所が出てきてしまいます。でも、土地に対してUの字に作業道を通せば、小さい機械でも殆どの場所に届くようになるんですよ。勾配の緩やかなこの辺りの地の利を生かした方法です。」
作業道を開けるのにはバケットを使用する。機械のヘッド部分をハーベスタからバケットに付け替えるのだが、これを人力でやろうとすると時間も労力もかかってとても大変なのだそうだ。それがオイルクイックというシステムを使うことにより、わずか15秒ほどで変えることが出来る。機械を導入することで、効率化を追求するだけでなく、作業者の安全性が確保されるという側面もあるそうだ。
- 林業機械を操作する晃崇さん
現在遠藤さんは、所有山林以外にも、約25haの経営委託山林を施業している。
「この経営委託山林は40〜50年の間、施業されず放置されていた山林です。所有者も高齢になっており、道も無いに等しい奥地のため施業に難儀しており、過去6~7年はそちらの施業重視で来ています。まだこれから2年程は、経営委託山林の間伐に注力していかねばなりません。」
このような施業放置林に適切な管理を行い健全な山林に変えていく、この過程においても、機械化を推進する意味は大いにあるのではないかと感じた。
ギンナン栽培、20年の試行錯誤
- ギンナン畑
皆伐の現場を後にして、作業場に戻る。最初に通った時には気づかなかったが、作業場に続く道の脇が広いギンナン畑になっていた。ここに植えられているギンナンの木は400本以上。遠藤さんがギンナンの栽培を始めたのは今から20年ほど前のことだという。そのきっかけや現在まで続けてこられた経緯をお聞きした。
「ギンナンは当時まだあまりやっている人がいなかったんですが、身内がスギ、ヒノキの苗木を扱っていたんです。愛知県の祖父江町(現在の稲沢市)がギンナンの出荷では日本のトップクラスで、そこに苗木を卸していました。そっちの方ではギンナンで子どもの大学を卒業させた、というびっくりする話を聞いてしまって、それはすごいな、やってみようかなと思ったわけです。」
「この富士宮の地域でも15軒くらいが賛同してくれました。当時苗木の品種は3種類くらい有ったんですが、どれがいいのかよく判りませんでした。ギンナンって不思議なもので、種を100粒まくと、95粒ほどがオス木なんですよ。それでは実がならないから、オス木をメス木にするように接ぎ木をします。まぁ言うなれば性転換手術みたいなものだけど、そうやって試行錯誤しながら実を付ける木を増やしていきました。」
- たわわに実ったギンナン
私たちがギンナンの木(=銀杏)と聞いてイメージするのは、街路樹の銀杏のように高く真っ直ぐに伸びている姿ではないだろうか。しかしここで育てられているギンナンの木の高さは3mほど。木の根本から枝が四方に逞しく伸びており、まるで傘を逆さまにしたような形をしている。木が小さなうちから枝が横に広がるように育て、すべての枝に日が当たるようにしているのだそうだ。必要な枝を残し、不要な枝はカットする、これは林業の考え方と一緒だ。不要な枝といっても全体の2割から3割ほどで、切りすぎてはいけない。以前、面倒くさいからと一気に5割ほどの枝をカットしてしまったら、翌年は木が休んでしまい実がならないことがあったそうだ。
「本当に試行錯誤の連続です。実のなる木だからお天道様と仲良くしていかないといけない。」と遠藤さんは言う。
枝の先には青々としたギンナンがたわわに実っていた。まさに鈴生りという言葉がピッタリだ。出荷にあたり、最初は中身が熟していなかったりカビが生えたり、いろいろ苦労もあったそうだ。
「自宅に残したギンナンで細かく状態の確認をして、それでクレームを減らして改良してきました。今はクレームも無し。包装紙に富士山のデザインを入れたら、お客さんの反応が格段に違ったんです。商品はデザインが大事だということも実感しました。今は時期が来るとお客さんが待っていてくれます。」
遠藤さんたちが出荷しているギンナンは、『富士山いちょう娘ぎんなん』としてとても人気が高いのだそうだ。ギンナンの収穫まであと1ヶ月ほど。実が完熟する前に収穫しているというその方法についてもお聞きした。
「ギンナンの木の下に漁網を敷きます。そして枝を揺すると、適した頃合いのギンナンが落ちてくるんです。」
ギンナンの木の高さが3mほどに抑えられているのは、収穫のしやすさを考えたものでもあるのだ。収穫した実は果肉部分を取り出し、何度か洗って、計量し、自然乾燥させる。それから4サイズに選別して出荷となる。大量のギンナンが入ったコンテナはとても重たいため、コンテナの移動は遠藤さん自作の天井クレーンを使う。
「重たくて腰が痛くなっちゃうから、どうにか出来ないかなと思ってね。なんとかやってみようと思ったらこの天井クレーンが出来ちゃったんですよ。」と笑う。ここでも遠藤さんのDIY精神が存分に発揮されている。
- ここでギンナンの出荷作業を行う
木を育て、木を使う、自分たちが今出来る事
作業場の隣にある遠藤さんの生家は、かつて養蚕を行っていたという築160年を超える古民家。現在は『繭玉』という食事処を営んでいる。柱や建具などはほぼ昔のまま、傷んだ土台は杉の赤身に変えた。床材も4~5cmの厚い板に変えたことで、冬場マイナス15度くらいになっても断熱材不要だそう。
「こうやって手直しして使っていけば、また100年くらいは大丈夫でしょう。」と遠藤さんは言う。遠藤さんも息子の晃崇さんも、四季折々の自然をたっぷり感じながらここで育ったそうだ。
- 遠藤さんと晃崇さんの生家
- リノベーションされた物置棟
晃崇さんは林業の道に入って20年。農業関係の学校に通い、卒業後は花屋に就職した。そこで社内の造園部門にも携わり、木に関わる仕事もしてきた。30歳になった時に何かを変えようと思い、同じく木に関わる事の出来る実家に戻ってきた。
「最初は家に入る事は全く考えてなかったですね。しばらく外に出て仕事をして、世間を見て、違う事を学べたのはとても良かったと思っています。もし卒業後そのまま家に入っていたら、世間を知らないままだったことでしょう。林業の仕事が途中で嫌になってしまった時に、30歳、40歳になっていきなり違う仕事を探すとなっても、次に何をしたらいいのか判らなかったかも知れません。」
この仕事をしていく中で、晃崇さんが大切にしている事も伺った。
「自分は父親とふたりでやっているので、林業に関してはここだけの知識しかないんです。ここだけの知識、ここだけの技術というのは、深く極めていく事は出来ても広がりが限られてしまうし、狭く固まってしまいがちです。現在、緑の雇用制度の講師を務めているおかげで、知識も増えてとても役に立っています。そちらの情報は新しいものばかりなので、そういう情報が自分のやっている事に合っているのかいないのか、しっかり考えて取り入れるようにしています。自分たちだけだと考え方も偏ってしまうので、とてもありがたいですね。」
緑の雇用制度の講師仲間には、晃崇さんと同じように親子で林業に取り組むメンバーもいる。講師で出会った仲間の存在には、いつもとても支えられているという。
「林業も機械化が進んできて、大きい数字が動くようになってきています。機械を入れて、それによって効率も利便性も上がります。楽をしたい訳じゃないですが、いずれ皆が必ず年をとって、少しずつ大変になっていきます。いつかは自分が主になってやるようになりますが、機械があることによって、それに合わせたやり方で仕事を組み立てていく事が出来ると思っています。」
- 仲間の存在に支えられていると話す晃崇さん
実を言うと、遠藤さんにお会いした時の第一印象は、眼光が鋭く、ギョロリとよく動く目で何でも見透かされてしまいそうだと感じていた。しかし取材が終盤になるにつれて、その目が澄んでとても優しく、何事も包み隠さず話してくれる信頼の眼差しであると思い始めていた。
「どんな人でもね、1時間ほど座ってゆっくり話してみれば、たいていは穏やかに話が出来るものですよ。」
これまで様々な仕事で経験を積み、人付き合いを重ねてきた懐の深さあってこその言葉だろう。
一方で晃崇さんが静かな口調で語る林業への想いには、太い柱のように筋が通ったものを感じた。実は晃崇さんのご自宅は、もともとあった家の骨組みだけを残して自らリノベーションしたセルフビルドの家なのだそうだ。
「小さい頃から自分で作ったり改造したりするのは好きでしたね。いつでも材料は有ったので。家で父親が何かを作ったり修理したりする姿を見ていたので、自分も自然とそういうのが身に付いたんだと思います。」
何でもやってみようという精神は、遠藤さんから晃崇さんへと確実に受け継がれている。木を大切に育てて、それらをしっかりと使っていくこと。自らが体現することで、日本の林業の明るい未来に一歩近づけるかもしれない。遠藤さん親子はその第一歩を着実に歩み始めている。
- 木を育て、木を使う