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会員の取り組み

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2025.10.20

追平 典義 氏追平 典義 氏
西部地区 追平 典義 氏

なにもない場所に帰るとき、人は豊かになる

春野町を流れる気田川の支流・熊切川から、さらに枝分かれした敷原川沿いを車で進む。春野町田河内、追平典義さんの暮らす家を訪ねた。
まず目に入るのは、家の周囲をぐるりと囲む石垣と木塀だ。名古屋城の修復に合わせて仕入れられた銘木が、巡り巡ってここに使われたのだという。築120年の古民家は、山の気配を引き寄せるように静かでどっしりとしている。裏手には、丁寧に枝打ちをされ、すらりと伸びる樹齢50年ほどのスギの林が広がっている。さらに屋敷の西側には、樹齢500年を超える大杉が4本。かつて風除けのために植えられた木々が、今も追平家の営みをずっと見守るように立っていた。

追平家と大杉
追平家と大杉
すらりと伸びる樹齢50年の杉林
すらりと伸びる樹齢50年の杉林

「ここは不便じゃないですか?」とよく聞かれるのだという。追平さんは少し笑ってこう言った。
「ここには元々、なにもなかったんですよ」
道路も水道もなかった。60年ほど前までは米を運ぶのにもケーブルを張っていた。そして、道路は自分たちで作った。
「必要なものがなかったから、自分たちで作ったんです。ここはそういう場所なんですよ」
その声は、不便という言葉とは結びつかず、むしろ誇りに近い響きを持っていた。

追平さんと愛犬のふくくん
追平さんと愛犬のふくくん
山林の航空写真を指し示しながら
山林の航空写真を指し示しながら
都会に憧れた青年時代

そんな山深い場所で育った追平さんだが、若い頃は林業に興味が持てなかったという。
「嫌いでしたよ、こういう仕事」
そうあっけらかんと話す。

15歳で家を出て、県東部の高校へ進学。大学も林業とは関係のない法学部を選んだ。都会に憧れた追平青年は、渋谷や新宿に繰り出してはその喧騒を楽しみ、都会の暮らしを大満喫。友人たちとの交流も深めた。当時、写真部の委員長を務め、オールナイトニッポンの撮影に行くこともあったという。
「地味な仕事なんて嫌だと思ってました。絶対に都会の会社員として生きていくんだ、って」

だが、大学卒業を控えた頃、祖父が倒れた。代々続く家の跡取り問題は、都会への夢よりも重く、避けることはできなかった。
追平さんは故郷へ戻り、後継になる決心をする。

「山は企業じゃない」林業哲学との出会い

地元に戻り、まずは県の農林水産部長に「林業の勉強がしたい」と相談に行った。「これからしばらくは国産材より輸入材の時代が来る。そちらをしっかり学んだ方が良いだろう」と言われ、清水の製材会社で3年間の修行に入った。それが、追平さんの価値観を根底から変えることとなる。

そこではさまざまな人に出会った。最も印象的だったのが、静岡県林業会議所の元会頭・榛村純一さんとの出会いだ。働き始めた当初は東京時代の感覚が抜けきらず、雨の日に仕事が休みになることが信じられなかった。「なんて効率が悪いんだ」と漏らした追平さんに、榛村さんはこう諭した。
「山は企業じゃないんだから」
「その言葉に目から鱗が落ちました」と追平さんは振り返る。榛村さんからは「緑化は絶対善」という思想も叩き込まれた。それは林業の哲学であり、山と向き合う姿勢そのものだった。

追平家の森で語る
追平家の森で語る

当時は高度経済成長期で、東北や九州をはじめ、全国各地から林業関係者が働きに来ていた。そういう人たちと知り合えたことも追平さんの視野を広げた。山の売買で使われる符牒を覚えたのもこの頃だ。輸入材の買い付けで、インドネシアやフィリピンを訪れることもあった。清水の貯木場では、荒っぽくも情に厚い筏師たちが、港で獲れたウナギを食べさせてくれたという。

「都会のキラキラしたものを捨てることができた3年でした。あの経験がなければ、自分はもっと人間として未熟だったと思う」
華やかなものを捨て去ることができた3年間。それらを手放した先に、「なにもないところに人は帰っていく」という実感の芽が生まれた。

帰郷してからは父と共に山へ入った。草刈りなどの山の保全は自分たちで行い、伐採や販売は業者に任せる。これが当時のスタイルだった。
百数十ヘクタールに及ぶ追平家の山では、ケーブルを張り、あえて不便な奥地から木を伐ってきた。
「道路に近い木は、将来のために残す。将来を見越して、こういうやり方を選択してきました」
「この地にいただけでは知識は乏しかったかもしれない」と話す追平さんが、全国各地のさまざまな人と知り合って学んだことが、ここでも花開いた。

さらに現在は、毎年の利用間伐によって森の健康状態を保ちながら木材を出荷し、山の状態に合わせて作業道を延長する取り組みも続けている。これらの施業は、春野町のH2O林業グループに委託して進めている。
伐り出しやすいところに残る木々が価値ある資産となった今。
「山の恵みをいただきながら暮らす。それが豊かなんですよ」と追平さんは話す。

利用間伐の現場写真
利用間伐の現場写真
新たな挑戦、観光ステーションとキャンプ場

林業以外にも現金収入の道を、と模索した時期があった。田舎で工場は難しい。ならば観光の一端を担うことはできないだろうか。そう考えて追平さんが最初に思い描いたのは、道の駅の構想だった。
しかし、役所は賛成したものの、地元の商店街からは反対の声が上がった。
「そっちは道楽でいいが、こっちは生活がかかってるんだ」
そんな厳しい言葉もあった。
道の駅の開設は断念せざるを得なかったが、「この地の利を生かして観光で人を呼びたい」という追平さんの思いは揺らがなかった。

そこで1995年、秋葉神社下社へ向かう玄関口に『春野観光ステーション路人』をオープンさせた。お店の入り口では四季折々の花が出迎え、手作りのヨモギの餡ころ餅や刺身蒟蒻、旬の野菜などの地場産品を製作・販売しながら、自慢の手打ち蕎麦で客をもてなした。
地域のにぎわいづくりに貢献してきたこの施設は、2019年に惜しまれつつ幕を下ろした。

追平さんの現在の主な仕事は、秋葉オートキャンプ場の運営と管理である。大きく蛇行して流れる気田川の秋葉橋の袂に秋葉オートキャンプ場はある。川の音が近く、人の手が入りすぎない素朴さが魅力の場所だ。集客は季節による変動があるものの、一度訪れた人はその穏やかな空気に心を奪われるという。
「便利さを求める人は来ません。自然の中で静かに過ごしたい人が来る場所です」

秋葉オートキャンプ場
秋葉オートキャンプ場
にぎわうキャンプ場
にぎわうキャンプ場

取材日の数日前には、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんがキャンプ場に宿泊していた。糸魚川から相良を結ぶ470kmに及ぶ『塩の道』を辿る徒歩旅の途中で立ち寄ったという。

追平さんと田中陽希さん
追平さんと田中陽希さん

キャンプ場の運営は今では38年目を迎える。訪れる客の表情を読み取り、さりげなくテントサイトの配置に気を配る。設備に限りがあるからこそ、人的サービスで心地よさを整えることが大切だと考える。

年の杉との対面

追平家には、代々伝わる言葉がある。
「家屋敷を売っても年の杉は売るな」

つるはしを手に山に入る追平さんの後を慎重に追う。急な斜面を慎重に踏み固めながら、そろりそろりと下っていく。ふかふかと踏みしめる杉の葉。
「これが栄養分なんですよ。何百年も木が生きるには、こういう土が必要なんです」

つるはしを手に森に入る追平さん
つるはしを手に森に入る追平さん

その先に現れたのが、後世に残したい名木「年の杉」。樹齢500年にも迫る巨木は、天に向かってそそり立ち、苔むした幹が重ねた年月を物語っている。周囲の木々を圧倒する存在感だった。追平さんの父も祖父も、そのまた前の世代も、ずっとこの木を守り続けてきたという。

樹齢400年の年の杉
樹齢400年の年の杉
天に向かってそそり立つ年の杉
天に向かってそそり立つ年の杉

79歳になった今も、追平さんは愛犬とともに2日に一度は山を歩き、見回りを続ける。
「若い頃は、山なんて好きじゃなかった。でも今は、好きになりましたね」

城主として、無名の武士たちを弔う

追平さんには、林業家やキャンプ場の管理人とは別に、樽山城の城主というもうひとつの顔がある。現在は城址だが、樽山城の麓には追平さんが建立した小さな祠があり、訪れるたび静かに手を合わせるという。

樽山城址
樽山城址
樽山城について語る追平さん
樽山城について語る追平さん

樽山城は、尖った尾根に築かれた堅牢な要害で、急峻な崖に囲まれ、土塁も残る。戦国時代、長篠・設楽原の戦のわずか2年後に落城した歴史を持つ。
若い頃は関心がなかったものの、今は戦国時代の無名の武士たちの英霊供養が趣味だ。殿様や名のある武将ではなく、戦に駆り出され、苦労をしながら名も残さず散っていった下級武士や百姓たち。彼らの魂を弔いたいという思いが、この城主という役割につながっている。

田舎の現実と、追平さんが考える豊かさとは

最後に、今の時代について尋ねた。
「若い人に田舎での暮らしはすすめにくい。恋愛も子育ても大変でしょう。でもね、歳を重ねると、なにもない場所が良くなるんですよ。田舎は夢を見せる場所じゃない。その代わり、山の恵みをいただきながら暮らすというのは、とても豊かなことですよ」。
都会を知り、田舎を知り、どちらの価値も大切にしてきたからこそ、追平さんの言葉には深い味わいがある。

【秋葉オートキャンプ場】
https://akiha-camp.com

プロフィール

追平 典義

  • 追平家13代当主
  • 元林業会議所理事
  • 山林業
  • 秋葉オートキャンプ場経営者
  • 樽山城城主
追平 典義