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会員の取り組み

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2024.10.28

鈴木 健太 氏鈴木 健太 氏
西部地区 鈴木 健太 氏

受け継ぐ山、育む未来、鈴木家の挑戦と林業の新たな形

前日から降り続いた雨が、取材の朝にようやく止んだ。船明ダムの穏やかな水面が鏡のように反射し、どこか幻想的な景色が広がっている。向かうのは安蔵(あんぞう)という集落。ここには、100haを超える鈴木家の山が広がっている。代々続く鈴木家の歴史は長く、現在の当主である鈴木耕治さんは12代目。婿養子として鈴木家に入り、山と共に生きる道を選んだ。先代である11代目もまた婿養子であり、佐久間の浦川からこの地にやって来たという。耕治さんの息子、健太さんは60年ぶりに生まれた鈴木家の男子。13代目となる若き彼への期待は大きい。林業のほか、農業やお茶の栽培にも手を広げてきた鈴木家。その歴史と新たな挑戦の行方を、安蔵の地で追うことにした。

安蔵の美しい森
安蔵の美しい森
長伐期への挑戦と二段林の可能性

愛媛県出身の耕治さんは、龍山森林組合での勤務を経て、昭和57年からこの地で林業に取り組んでいる。昭和の時代、林業は短伐期。約40年の周期で木を伐り出し、経済的に回転させるのが常識だった。天竜では1haあたり約3500本のスギ・ヒノキを植えており、伐期に合わせて伐採し、収穫の多さで利益を得る。間伐は最低限でスピードと量を求められた。戦後すぐには、柱として使える太さに成長した木は、わずか20年ほどで伐採されることも珍しくなかったという。そんな中、鈴木家では伐期を80年以上とする長伐期に舵を切る決断を下した。鈴木家の山では40~45年を超えた木々が美しく立派に育っていたこと、方針転換に耐えられるだけの山の面積を保有していたことが背景にあった
「11代目と話し合って、これだけ良い木があるのだから、思い切って伐期を延ばして将来に大径材を残した方がいいのでは、ということになったんです。」
当時は木材価格も良く間伐した木を出荷すれば経営が成り立ったため、皆伐を控え、山を育てる方向へ大きく転換することができた。

父 耕治さん
父 耕治さん

しかし、その後の経済の変化とともに木材価格は下落の一途をたどる。スギ丸太は価格が3分の1、ヒノキは4分の1に、そして山主が手にする立木価格はさらに厳しく、スギは10分の1にまで落ち込んでしまったという。
「昔の資料を見てみると価格の差があまりに激しくて、これはとても息子には見せられないなと思った。」と耕治さんは苦笑する。
木材価格が下がり続けた背景には、戦後の高度経済成長期における木材需要の拡大に対して供給を追いつかせるために急速に増えた輸入材の影響がある。国内の植林地は、天竜など一部を除けば戦後に植えられた木が多く、当時まだ安定供給できる状態ではなかった。木材の輸入自由化が本格化し、変動相場制への移行により円高が進むと、輸入材が安価で市場に入ってくるようになった。品質の均一化や大量供給を求められる中、国内の小規模な山主は次第に厳しい状況に追い込まれていった。
「昔は大工さんが木材を見立てて、材の向きや質を見極めて使ってくれていたけれど、今ではプレカットで均一な材が求められ、木材は工業素材のようになってしまった。」と耕治さんは語る。

そんな時代の流れの中でも、鈴木家の山では80~100年の大径材があることが強みになっている。また天竜全体だとスギとヒノキの割合は7:3くらいだが、鈴木家の山ではスギとヒノキが半々くらいで育っている。スギに比べるとヒノキは価値が高いため、これも強みと言えるであろう。長い年月をかけて育てられた大径材は、決して大量にあるわけではないが、これからの切り札として力強く存在感を示している。

二段林の林
二段林の林

この日、耕治さんに案内していただいた二段林の林には、雨上がりの柔らかな光が差し込んでいた。上段の太い木々と下段の若い木々がしっかりと共存している。
「愛媛の実家では、親父が山林を受け継いだ頃に二段林を始めました。山の構成上、全部を伐るのは難しい、でも収入は得なきゃならないっていうことだったようです。」と耕治さんが振り返る。伐期に適した木を択伐し、光を取り入れやすくした林内に若木を植えるこの手法は、持続可能な林の管理と収益確保を可能にし、また人工林の生態系を維持する役割も担っている。
天竜の地でもその二段林に取り組んだ耕治さん。
「鈴木家は代々いろんなことに挑戦してきたから、自分もわりと自由にチャレンジさせてもらえました。」と語る。しかしながら二段林の維持には手間とコストが伴う。そして、昨今のシカによる食害も深刻だ。
「以前は時々ウサギが出るくらいだったけど、今じゃシカが山ほどいて、せっかく植えても若木が傷つけられてしまう。」と被害の現状を語ってくれた。
対策として、かつては生分解性のテープを巻いたこともあるが、今後二段林を守るためには何かしらの囲いが必要かもしれない。しかしネットで広い面積を囲うにしても、枝が折れたり木が倒れたりすればそこからシカが侵入してしまう。1本1本を囲うのもコストがかさむ。今ある木を大切に残しながら未来の木も育んでいく二段林。その手間や自然環境との折り合いは新たな課題となっている。

鹿による食害
鹿による食害
試行錯誤の跡
試行錯誤の跡

耕治さんにとって木を育てることの魅力は、何よりも「成果が目に見える仕事」であることだ。
「枝打ちがきちんとできていなければ、木の色が悪くなったり幹が腐ってしまったりする。適切な間伐を行わなければ、うまく木が太っていかない。手入れによって木の価値を上げることも下げることもある。良いも悪いも結果が目に見えるんです。」
林業は丁寧に手をかけた分だけ木々が応えてくれる仕事だと語る。木が育つサイクルは人の寿命を超える。先代が残してくれた木が、今自分の代で役立っている。それをどう次の代に渡していくか。林業は単に木を伐って売るのではなく、代々受け継ぎ、時間をかけて山と向き合うものだという。木材の価格は下がり、時代は変わっても、鈴木家の山には80年、100年の木々が次の世代への未来を支えている。

丁寧に手をかけた分だけ木々が応えてくれる
丁寧に手をかけた分だけ木々が応えてくれる
FSC認証取得への道のり

次に地域全体で取り組んできたFSC認証取得の活動についてお聞きした。耕治さんの視線の先に広がるのは、FSC認証を受けた林だ。FSC認証とは、森林の持続可能な管理を証明する世界的な認証制度である。木材や紙製品に「環境への配慮」の証を付加し、消費者に信頼と安心を提供する。この認証を取得した背景には、地域ぐるみで森林資源を守り、経済的にも自立した林業を確立するという壮大な目標があった。耕治さんの話によると、FSC取得の道のりは一筋縄ではいかなかったようだ。

平成12年、三重の林家が日本で最初にFSC認証を取得した。その方が天竜で行った講演がきっかけで、この地域でもFSCへの興味関心が高まった。その後、5~6年が経過し、再びFSC取得への機運が盛り上がる。天竜林業研究会の仲間たちが活動の基盤となり、外部の専門機関に出向いて情報収集を進めた。だが、林家だけで取得するにはスケールメリットを見出せないことが判明した。それでも地道な活動を続けるうちに浜松市や6つの森林組合、地域内の県有林や国有林も加わり、地域ぐるみでFSCを取得する方向へと進んだ。平成22年に事前審査が行われ、耕治さんの山にも審査員が訪れたという。「この山なら大丈夫!」とお墨付きをもらい、同年の本審査を通過。その後も認証を受けた森林面積は徐々に広がり、今や浜松市内で50,000haを占めるまでになった。これは浜松市全体の森林面積の約半数に上る。
さらに、地域の製材所がFSC認証のCoC(加工流通過程の管理)認証を取得したことで、FSC認証木材の流通が地域内で完結する流れができた。木材市場では県森連の9割がFSC材で流通しており、まとまった量を安定供給できる体制が整っている。このような大規模な供給体制は、日本国内でも数少なく、天竜地域の強みだ。「ふたつの認証があることで、山だけでなく経済的にも循環してくるのではないか。」と耕治さんは語る。オリンピックのように環境への配慮が求められる国際イベントでも、FSC材は重要な役割を果たしたという。

FSC認証林
FSC認証林

しかし、課題は残る。FSC認証の認知度はまだ高くなく、積極的に買われることは多くない。同じ品質の材が並んだ場合、環境に優しいFSC材が選ばれることは多くなったが、まだ高い価格で取引されるには至っていないのが現状だ。
「地域的に広げた効果が林家まで届くようにシステムを築いていくことが今後の目標です。」
林家と地域、消費者が一体となり、持続可能な森林経営が経済的にも成り立つ仕組み作りがこれからの課題である。天竜の林家たちは、これまでの伝統を守りながらも、新たな時代のニーズに応えようと挑戦を続けている。その未来には、地域ぐるみで築き上げたFSC認証の強みを活かし、さらなる発展の道筋が待っている。

父から息子へ

天竜の山で42年を過ごしてきた鈴木耕治さんにとって、林業は運命に導かれた生き方だったという。「天竜に来て、悪くなかった人生だと思っているよ。」と言葉を噛み締める耕治さん。鈴木家で育んだ山への情熱は、ただ「木を育てる」だけに留まらない。山を歩き、伐る木と残す木を選びながら息子の健太さんと話を重ねるその時間が、理想の山づくりの形を次代へと伝えていく瞬間だ。
健太さんも父の思いを受け継ぎながら、時代の変化と向き合う。「うちは小さな山主だからこそ、1本1本の質で勝負していきたい。」と語り、特別な大径材を揃えることの重要性を強調する。量で勝負する時代から、質で魅せる時代へ。健太さんは、父から学んだ山の知識を糧に、自分の方法で山を守り継ごうとしている。

理想の山づくりの形を語り合う
理想の山づくりの形を語り合う
オーストリアでの林業視察

健太さんは最近オーストリアでの林業研修へ行く機会があった。現地では日本とは異なる点が多くあり、驚くことばかりだったという。日本では細かな作業道を入れて丸太を搬出していくことが主流になりつつあるが、オーストリアでは大きく頑丈な道を入れて、そこから大型の架線による集材する方法が事業体としては主流となっている。オーストリアの山は土の層が少なく、岩山なため頑丈な道が作りやすく、現場までトレーラーが入ることができる。もちろん道を作るコストは日本より高い。それでも排水をしっかり考え傷みにくい道を作っているため、長い間使うことができるのだという。また、使用する機械自体も大きい。一度に張る架線の長さは400mを超えることも多々あり、架線集材機の横には木を造材するプロセッサーも付いている。機械自体が大型なこともあるが全体的に効率が良くなっている。
その他にも「植林することがほぼない」「狩猟により獣害がしっかり防がれている」「木食い虫の被害が深刻」など多くの違いがあった。健太さんは環境の違いを理解しつつも、まずは取り入れられる部分から真似ていきたいと語る。

オーストリア研修の様子
オーストリア研修の様子

山は受け継ぎながらも、次代の形に変えていくもの。父子の絆を軸に、鈴木家の山はこれからも静かにその姿を変えながら、次代の人々に豊かな実りを与え続けるだろう。

時代の変化と向き合っていく
時代の変化と向き合っていく
プロフィール

鈴木 健太

鈴木家13代目
FSC森林認証取得

職歴:
静岡県森林組合連合会(天竜営業所、富士営業所に従事)
中山林業株式会社(現場業務の修行)
2020年8月独立

  • 静岡県青年林業士
  • 天竜林業研究会 会長
鈴木健太