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会員の取り組み

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2023.10.27

熊平 智司 氏熊平 智司 氏
西部地区 熊平 智司 氏

親子で紡ぐ森林の未来、世代を超えて受け継がれる林業の歴史と革新

浜松市天竜区熊、地元の方々は愛着を持って「くんま」と呼ぶ。今回お話を伺った熊平一吉さん、智司さん親子のご自宅は、熊の集落の入口から車で10分ほど走ったところにある。シキミ畑のその先には、立派な母屋と江戸彼岸桜の大木が見える。この桜が咲き誇る春には、多くの人が見学に来られるのだそうだ。

熊平家全景(春)
熊平家全景(春)
山を育てるというのは、子どもを育てるようなもの

熊平家は一吉さんで11代目、智司さんで12代目になる。はるか昔からこの地域に根を下ろし、山や田畑を守ってきた。林業を興したのは4代目の七郎左エ門理兵衛まで遡る。理兵衛は1788年に生まれ、1831年に42歳で世を去る間際まで山林の整備に心血を注ぎ、熊平家の林業の礎を築いた。しかし残念ながら短命で、その志を後世に伝えるためにこのような言葉を遺している。
「諸氏よ、報国の二字を忘るるなかれ。我四拾有余年間山林業改良に苦心し、今日の度に至りしは、衣食をほしいままにするの意ならず、聊か国家に報ひんか為なり。然るに不幸にして予は其の意を果すを得ず。諸氏よ、予の希望を入れ此の業務を盛んにし、四方の亀鑑となりて益々擴張し聊か国家に報せられん事をと。」
理兵衛が山林業の改良に全力を尽くしてきたのは、私腹を肥やすためではなく国に報いるためである。不幸にもその目的を果たすことのできない自らの運命を憂いつつ、山林業の繁栄を望み、その発展を後世に託した理兵衛の胸の内が伝わってくる。

美しい森
美しい森

熊平家の所有する山林は約100ha。この日は作業現場を7箇所案内していただいた。今でこそ軽トラックに乗って現場まで来ることができるが、一吉さんが林業を始めた頃は勝手が違ったようだ。
「昔は山の中にはこんなふうに車が入れる道はありませんでした。下刈りや枝打ちなど、日々の作業には必要な道具一式を持って、歩いて現場に通っていたんですよ。」
車が入れる道がないということは、伐採した木材の搬出方法も今とは異なったのだと一吉さんは言う。
「僕が林業の世界に入った頃にはもうだいぶ下火になっていましたが、昔は木材の搬出は全部ソリで行っていました。木馬(きんま)と言います。木を枕木のように敷いて、その上をゴロゴロと木馬を滑らせて運搬するのです。よく滑るように油を塗ったりしてね。木馬を下から上まで担いで上がって、上で木材を積んで、また下まで引っ張って運んでくる。とても体力のいる危険な力仕事だったと聞きます。」
今ではどの現場にもきっちりと作業道が張り巡らされている。山の管理をしている中で、ここに作業道があったら便利だということを見据えて設計されているそうだ。一吉さんの話を受けて智司さんが続ける。
「今は木を伐ったら、機械で掴んで作業できるところに移動させます。必要な長さに揃えて、林内作業車に乗せて、大きいトラックが入れるところまで運搬します。これがさっき言っていた木馬の代わりですね。今は基本、自分ひとりで作業していますが、林内作業車が2台あるので、親父と一緒に作業することもありますよ。この山は必要な箇所に作業道を通しているので、架線を張らなくてもユンボさえあれば木材を出せるようになっています。」

作業道
作業道

一吉さんに林業の世界に入ったきっかけをお聞きした。
「もともとは勤め人だったんですけど、ちょうど縁談の話がありましてね。昭和41年、僕が30歳を過ぎた頃だったかな。僕は山が好きだし木が好きだったから、その縁談が進んだことがきっかけで、よしやってやろう!と思ってこの世界に飛び込んだんです。生まれ育ったところは春野町なので山の中ではありましたが、山のことや木のことについて知識としてはなかったですよ。林業の道具を使うのも初めてでした。ゼロからの新しいチャレンジでしたね。」
当時を思い出してそう懐かしそうに語る。
「ここは先代が植えて手を入れたところで、もう100年以上は経ってます。」
「そっちの木は僕が入った時にはまだ3、4年でした。」
現場ごとに鮮明に当時の様子を思い出して教えてくださる一吉さんは、本当に山が大好きなんだろうなと感じる。

父 一吉さん
父 一吉さん

そんな一吉さんに、熊平家の山の特色をお聞きした。
「うちの山の特色は丁寧に枝打ちを行っていることです。こんなに上まで枝打ちして手入れをしているところは、県内でもなかなかないと思います。全山ではないですが、8mから9mくらい打ってあります。特に神社仏閣のような大きな建造物に使うような場合、こういう長くて太い木を欲しいという注文が入ります。しっかり手を入れて枝打ちされた木というのは数多くないから、これからも価値が出るだろうと思っています。あと50年もすればかなりいい木が育ちますよ。でもさすがにそこまでは見守れないなぁ・・・」

枝打ちの痕
枝打ちの痕

木の成長過程が枝打ちの痕からわかるということも教えていただいた。
「木の表面に丸く節が残っているところが枝打ちの痕です。木が若いうちに枝打ちをしたということが、その痕からわかります。その部分の樹皮が浮いているのは、もっとずっと若いうちに枝打ちをしたということ。木が成長して太くなってくると、その丸い節は割れてきます。そして木の成長に樹皮が追いつかなくなると、樹皮が浮いて剥がれ落ちます。」
木が若いうちに枝打ちをすることで、節がなく、真っ直ぐで美しい木を育てることができる。そういう木を作りたい、そういう山を作りたいという意思を持って手入れをすることで、長い期間をかけて、作り手の意思を反映した山ができあがっていくのだ。

一吉さんにとって山とはどういう存在なのだろうか。
「僕は山が大好きなんですよ。山を育てるというのは、子どもを育てるようなものですよ。おぉ、よく育ったな、大きくなったな!って木に1本ずつ声をかけていくんですよ。」
そう言いながら一吉さんは、木を優しく撫でて抱きしめた。

一本一本、木を愛でる一吉さん
一本一本、木を愛でる一吉さん
山を受け継いでいく

智司さんはちょうど30歳の時に家業の林業を引き継いでいくことを決めた。それまでは白衣を着て顕微鏡を覗いていたというから驚きだ。子どもの頃から山は身近な存在であったとはいえ、初めて足を踏み入れる林業の世界に不安はなかったのだろうか。
「いつかは林業をやるんだろうなという気持ちはありました。それで、年齢的にも30歳が区切りかなと思って。でも林学科を出ているわけでもないし、チェーンソーを持ったこともない。もちろん不安はなかったわけじゃないですよ。ただ親父が始めた時にもそうだったから、『大丈夫だよ、山の管理はできるよ!』と背中を押されました。学問的な知識はなくても、機械の扱いなどはやりながら学んで体で覚えていきました。」
山を育てていくには木を見る目が大事、とよく言われるが、どのように木を見る目を養ってきたのだろうか。
「それは日々の仕事の中で自然と身に付いていきました。あの木は曲がっているなとか、真っ直ぐな木を残しておきたいなとか。個人でやっているとその時々の判断がダイレクトに自分たちに響いてくるんです。だから失敗できないんですよ。そういう中で徐々に木を見る目も鍛えられていきました。」
と表情を引き締める。

木を伐って倒す方向にも、もちろん慎重になる。
「伐った木は山の斜面の上に向けて倒します。もし下に向けて倒すと、勢いで木が飛んでいってしまうことがあり、残っている大切な木に傷がついてしまいます。」
上に倒すと計測の時に時間がかかるし、下に倒せば機械で作業する時に楽だったりもするが、スピード重視、コスト削減に偏りすぎると時に危険なやり方になることもある。美しい山を維持していくには、丁寧に作業すること。それが遠回りなようで最も近道なのかもしれない。
そのために正しい作業手順を身に付ける大切さも感じているという。智司さんの山の師匠は一吉さんの他に、清水区で自伐林家を営む片平成行さんだ。ちょうど県内の林業従事者の技術を統一し、底上げしていこうという時期だった。このタイミングで片平さんから正しい技術を教わり、林業に携わるために必要な様々な資格も取得していった。技術を身に付け、資格も得て、次は自らが教える立場の指導員になった。講師同士の学び合いや講習会も行い、県内だけでなく全国に学びの輪を広げていった。

智司さん
智司さん

智司さんに、林業をやっていて達成感を覚えるのはどんな時なのか聞いてみた。
「やっぱり山が綺麗になるのは最高ですよ。枝打ちして、間伐して、明るくなったなって。草刈りもそうだけど、終わった!っていう達成感は何ものにも代え難いです。」
という実にシンプルで気持ちの良い答えが返ってきた。木を育て、山を作り上げていくという長期的なサイクルの中で、目に見える形での確実な達成感は、仕事に読点を打つ意味でも大切なのだろうと感じた。

シキミの出荷

現在熊平家では、林業以外にシキミの出荷も行っている。年間を通しての仕事のサイクルについて教えていただいた。
「伐採は木の水分が少なくなる10月から3、4月頃までに行います。7、8月のお盆の時期にはシキミの出荷が最盛期となるため、早朝からシキミの収穫をして出荷に備えます。また12月の暮れと新年にも需要があるため、この時期は林業とシキミとで大忙しですね。他にもサカキは年間を通して需要があり、ヒサカキやアセビは注文が入ったら対応しています。」
大きく分けると、主に秋冬の寒い時期に林業を行い、春先から夏にかけては畑仕事がメインとなるようだ。

シキミ畑
シキミ畑
収穫されたシキミ
収穫されたシキミ

一吉さんは熊地区におけるシキミ栽培の先駆者の一人である。
「昭和50年頃だったでしょうか。シキミ栽培の話が舞い込んできたため、各集落に声をかけて協力者を募り、天竜園芸組合を作りました。最初は60~70軒ありましたよ。今では高齢化でだいぶ減ってしまいましたが、最盛期には熊だけで出荷金額が6、7千万円ありました。今は4千万円くらいでしょうか。こういう地域ですが、なかなか頑張っているでしょう?」
太陽の光を浴びてつやつやと光るシキミ畑を眺めながら、シキミのお話を伺うという贅沢な時間だった。

磨き丸太と絞り丸太

熊平家では年間を通して磨き丸太の出荷にも力を入れている。磨き丸太とは、スギやヒノキの樹皮を剥いで、磨き上げ、乾燥させた木材のことである。まず木の外側の硬い樹皮を、木を傷つけないように鎌のような専用の道具で剥いていく。この加減がとても難しいのだそうだ。
「自分の手の感覚を頼りにちょうどを見極めながら剥くのですが、やっぱり経験も大事ですね。」
次に内側の柔らかい樹皮を水圧で剥いていく。大量の水を使うため、冬の寒い時期の作業は特に骨が折れるそうだ。これらの工程を専用の作業場で行い、その後、背割りを施して木を乾燥させる。チェーンソーで背割りを入れておくと、徐々に木が縮んで背割りの部分が開いてくるのだそうだ。背割りには楔を入れて、木材の他の箇所がひび割れないように力を加える。倉庫には乾燥させている磨き丸太が所狭しと並んでおり、木によって白っぽかったり茶色っぽかったり、その肌の色が違うことに気づいた。
「時間が経つと木の肌の色が徐々に飴色に変化してくるんですよ。これは自然のなせる業です。」

倉庫には、つるりとした滑らかさが魅力の磨き丸太の他に、木肌に凹凸のある木材も並んでいる。これが絞り丸太である。絞り丸太をよく見ると、大きい絞りもあれば細かい絞りもあることに気づく。
「ボコボコと強弱があり全体的に波打つような絞りが出るのがヒノキ、縦縞のような絞りが出るのがスギです。」
木の種類によっても絞りの形状が自然発生的に変わるのだそうだ。
「うちの絞り丸太は全て天然絞りです。なので絞りの形状も様々でとても味があります。絞り丸太の好みは人それぞれですが、男性と女性とで好みが違ったりするのもおもしろいですよ。そもそもこういう絞りを愛でるということ自体が、侘び寂びの文化を重んじる日本人ならではの好みなのではないかとも感じます。」
この日本人ならではの好みというのがとても興味深いと感じた。先ほどの背割りについても、乾燥の際にこのような手間をかけるのは日本だけではないか、とのこと。
「日本人は見えないところにまで気を遣いますよね。海外では木がひび割れていようがそんなに気にせずそのまま使います。日本人はひび割れが無いとか節が無いとか、そういう美しさにこだわってきました。日本独特の美意識だと思います。」

背割りされた磨き丸太
背割りされた磨き丸太
出荷を待つ磨き丸太
出荷を待つ磨き丸太
高校の音楽館ホールの木材として

2024年3月に完成した浜松学芸高等学校の音楽館ホール。ここに熊平家のヒノキ50~60本が使用されている。これらの木は、ずっと先代が植えて大切に守り育ててきたものである。これまで何十年とかけて育ててきた木が、学校という新たな場所で、これからまた何十年という先まで、子どもたちと共に育まれていくことになる。

音楽館ホール
浜松学芸高等学校の音楽館ホール
音楽館ホール
ステージは節のないヒノキの無垢材が使われている

熊平家の茶の間には『子どもを育てるように山の木を育てる』と記されている書がある。
「長期的な仕事だからこそ、将来こうなるだろうという夢を見ながら仕事をしていく。」
と一吉さんは言っていた。こういう木を育てたい、こういう山を作りたいという目標があったとしても、それを最後まで見届けることはなかなか叶わないであろう。しかしその途中経過を観察しながら、良い木になったな、よくここまで育ったな、と木に声をかける。そしてこの木がこうなったら見事だろうなぁと想像しながら山を歩く。子どもを育てるように木を育て、山を育てていく。
「こんなに夢のある仕事はなかなかないですよ!」
山が大好きな一吉さんと、その山を受け継いだ智司さん。作り手の意思を反映した山は、これからもゆっくり、じっくり育っていく。

プロフィール

熊平 智司

熊平家12代当主
FSC森林認証取得
静岡県林業研究グループ連絡協議会 顧問

  • 静岡県指導林家
  • 静岡県林業指導者
  • 緑の雇用講師
  • ふじのくに森林整備アドバイザー
  • 安全衛生教育インストラクター
  • 林野庁森林・山村多面的機能発揮対策アドバイザー
  • ツリークライミング・ジャパン® ツリークライマー
熊平智司